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鹿野汽車
ああ、鹿野の住民が反対しなければ
鹿野に汽車通ってたのに
と、悔やむ声も未だありますが
確かに、湖山池北側が
砂地なので工事が難しかったのかもしれませんが
他の区間は
鳥取ー吉岡ー鹿野ー東郷ー西倉吉
を通すと、トンネル、谷には橋梁、盛土と
とても難しい工事になったと思うし
当時は富国強兵の流れで
鉄道開通も国防の一環で急いでいたので
どちらにせよ鹿野の鉄道計画は
国が変更したと思う。
林業も盛んではないし
山手に鉄道を敷く意味があまりないし
それより港近くに駅があった方が。
倉吉は北条砂丘を避けるために
倉吉市まで鉄道を南下したらしいですが
けたごおりには敷いているわけですから
鹿野町民の反対というのもそんなに大きな声でもなかったのかなと。
「まぁ、鹿野町民も反対してることだし
汽車は海辺を通したらあいや」
ってとこだったんじゃないのかなぁ
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